Sさんに指摘されて、「不思議現象の正体(トリック)を見破る」(安斎育郎・河出書房新社)という本を買ってきて、勉強することにした。
この本によると、福来博士の研究成果、だいたいインチキや手品ということで、説明できるそうだ。
この本に書いてあった、「インチキ」の種明かしは・・・。
超能力者一覧。
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1.御船千鶴子
1886年(明治19年)生まれ。
1908年(明治41年)初めて透視能力を発揮。
1910年(明治43年)の透視実験その1。
福来博士が自宅に送った19枚の密封された名刺の透視を千鶴子に依頼。しかし、返送されてきたのは7枚だけ。「説明では、3つは精神統一中に居眠りして火鉢に落とし、残り9つは疲労で透視をやめた」のだそうだ。安斎氏の指摘「19枚のうち、12枚は開封し損なって修復不能になったのでは?」
1910年(明治43年)の透視実験その2。
文字を書いた紙を鉛管に封じ、中の文字を透視させたところ、「間違って」違う方の鉛管の中身を透視。
1911年(明治44年)
報知新聞にこの件に関して「大詐欺師」と書き立てられて自殺。享年25歳。
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2.長尾郁子
1870年(明治4年)生まれ。
1910年(明治43年)
彼女の透視した乾板に「哉天兆」の文字が現れたことが念写現象の発見のきっかけになった。安斎氏の指摘「「文字が現れた」のは、インチキして、中身を覗いたために、乾板が感光してしまったせいでは?」福来博士の実験は、乾板等実験器具を丸亀の長尾家に送り、現地で関係者に結果を判定してもらうという手法で行われていたため、インチキが行われているかどうか、博士にはわからない状況だった。
1910年(明治43年)
「心」という文字を念写。安斎氏「「心」の文字はなく、中央に何ともわけのわからぬ形が現れただけ」。
1911年(明治44年)1月8日
実験者が長尾家の指定された部屋の指定された場所で文字を書き、それを透視する、という内容。しかし、体を盾にして文字を書くと、透視できなかったり、実験用の看板にインチキ防止のために挟み込んでいた針金が現像時に紛失していたりと、怪しい証拠だらけ。最後の実験の手落ち(乾板が入っていなかった)で念写実験中止。この時も、実験装置を開封した痕跡あり。新聞に「手品」と書き立てられ、これが博士が職を失うきっかけになった。
1911年(明治44年)2月26日
体調すぐれず、高熱を発し、41歳で死亡
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| 3.高橋貞子→彼女に関しては、安斎氏のコメントなし。 |
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4.三田光一(1885〜1943年)
1918年(大正7年) 実験中の乾板の箱が違うものにすり変わっていた。
1931年(昭和6年)月の裏側を念写。安斎氏「どうして、月の裏などという当時、真偽を確認できないものを実験対象に選んだのか。「福来博士の足の裏側」等を念写して、その場で確認すればよかったのに。」念写した写真が実物とは似ても似つかないのは、Sさんの指摘どおり。
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ということで、福来博士の超能力実験成果は、ほとんど全て、トリックということで説明できてしまうそうである。
記念館の一方的な展示だけをアテにしてはいけませんね。。。彼の実験がどうして世間から相手にされないのか、もっと調べてから書くべきでした(反省)
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