たぬき寺の軍人墓地(2)

問題の軍人墓地は寺の一番奥、コンクリで固められた崖の直下にあった。

見た瞬間、背筋がゾクゾクしてしまった。

すごい人形の数だ・・・。

上半身だけ、地面から生えている者もいた。

ここの像は、非常に写実的だった。

見る人が見たら、誰だか特定できそうな作り込みだ。

双眼鏡を持つ兵士。

後ろ姿の服の皺まできちんと作り込まれていた。

犬を連れた兵士。

戦場に犬を連れて行ったのではなく、日常生活では愛犬家ということだったのではないかと思うが・・。

台座の文字はほとんど摩耗して消えてしまっていたが、子供の文字で「オトウサン・・・」と読める物があった。

珍寺さんのサイトによると、
オトウサン ボクモオヲキクナツタラグンヂンニナリ オヂイサンノイイツケヲヨクマモッテ リッパナヒトニナリマス
と台座に書かれた伍長の像
があるとのことだったので、これのことらしい。

近くの看板を読む。

中之院軍人像について

ここの軍人像のほとんどは昭和12年上海上陸作戦における呉淞の敵前上陸で戦死された名古屋第三師団歩兵第六連隊の兵士達です。
緊急の出動で名古屋城内の兵営より名古屋港まで夜間13キロの徒歩行軍の後、艀で野間沖に待機していた巡洋艦・駆逐艦に乗り込み、わずか廿六時間で揚子江河口付近に到着後の昭和12年8月廿三日の敵前上陸でした。が、上陸後半月足らずでほとんど全滅してしまいました。
軍人像そのものはめいめいのご遺族が戦没者の一時金をもって写真を基に造らせ建立したものです。昭和12年から18年のことと言います。
また戦後進駐軍が取り壊しを命じた際、僧侶が国のために死ぬということはアメリカも日本も変わりはない、あれを日本人の手で壊すことはできない、どうしても壊すというなら、我々をこの場で銃殺した上であなた方が行って壊せばいいだろうと頑張った。
おかげで像は壊されずに済んだということです。
建立当時より名古屋市千種区月ヶ丘にあったもので、当山には御縁により平成7年11月にお移しし、この地で安住いただいております。
現在もよくご遺族ご縁者の方が御参りにいらっしゃってます。
           天台宗 大慈山 中之院

どうやら、たぬき寺の正式名称は中之院というらしい。
像がリアルなのは、写真を基にしているかららしいということはわかった。
でも、どうして、この像がここに移設されたのか?

理由が知りたかったので、寺の人に玄関まで出てきていただいて、お話を伺った。そうしたら、詳細な事情は教えていただけなかったけれど、仲介人を経て、こちらで預かってください、という話になった、とのことだった。場所が知多半島のこの場所である必然性はなかったらしい。
軍人墓地は、北海道と九州にも一カ所ずつあるらしいが、ここほど大規模でないとか・・・。

見れば見るほどリアルで不気味な像群だったが、このように感じるのは不謹慎というものだろう。

太平洋戦争で亡くなられた方はこの人たちだけではないが、この方たちは、まだ像にしてもらえただけ幸せなのだな、と感じた。像が残っているかぎり、私のような人間にその存在を思い出してもらえるのだから・・・。

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