吹上トンネル(2)

茶屋のすぐ先に明治のトンネルがある。

イギリス積みの立派なトンネルだが、側壁も崩れていて、不気味だ。

入口は、フェンスで閉鎖されていた(でも破られていた)。出口は見えているが、中は真っ暗。ちょっと入ってみたら、水たまりにはまって足が濡れてしまった。嫌だったので、マグライトを取り出し、路肩の一段高くなった所を歩くことにした。

立ち止まって赤ペンキ落書きを撮影した。

立ち止まると、ぴたぴたぴたと音が・・・。足音かと思ってどきっとしたら、ただの水音のよう。

出口はこんな感じ。

こちら側は獣道状態。

路面が崩れていたり、画像では見えにくいが、地上すれすれに、10本ほどワイヤーが張られている(右画像)ので、夜間の通行は懐中電灯を持っていても、危険だと思われた。

昭和のトンネル道路との合流点。

右に上がっていく細い獣道が、今降りてきた道。

何も出ないじゃん!心霊スポットなんてこんなもんだ〜と思っていたのだが・・・

帰宅後、明治のトンネル出口で撮った画像を見たら、こんなものが写っていた。

(((((;゚Д゚)))))ガクガクブルブル

【追記】
トンネルの竣工年、私が最初に読んだ心霊スポット本には、「明治33年」「昭和33年」と書かれていたが、この数字は間違っているかもしれない。「廃墟探訪」(中田薫、関根虎洸、中筋純、二見書房)によると、「いずれのトンネルも昭和40年代のもの」だそうだ。以下、内容抜粋。

昭和30年頃、ここで峠の茶屋を開いていた母娘が酔った客に手斧で惨殺された。その後、昭和40年代にここでトンネル工事が始まり、土木作業員の親子が勝手に廃屋になっていた茶屋を改装して住み着いた。工事は8年の予定だったが、4年目に子供が病死した。父親はそれがショックだったのか失踪した。そして、作業員が病気等で次々と倒れる等して工事が続けられなくなり、トンネルが貫通し、壁が落盤しない程度に固められた程度のところで作業が終了してしまった。だから、トンネルの岩壁がむき出しになっていたり、トンネルの反対側が獣道のままなのである。直下の「昭和のトンネル」はこことは関係なく、県道のトンネルとして作られたものである。

こちらの話は地元警察等に聞き込みをした結果、判明したことだそうだ。

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