ホロコースト記念館

福山のホロコースト記念館は個人運営の施設なので、開館日が少なく、3年前福山に来た時は博物館のお盆休みで入ることができなかった。今回は九州ツーリングの往路が自走になったおかげで見ることができたのだ。

HPを見て、だいたいの場所は地図に印をつけてきたのだが、案内看板もあんまり出てないし、わからない〜。

地元の人に道をききまくり、やっとのことで到着。

ユダヤ人虐殺に関する博物館といえば、世界各国に700箇所あるそうだ。日本では、白河市の(昔は栃木にあった)アウシュビッツ平和博物館があるが、ホロコースト記念館は、それに比べると小規模だった。

敷地の手前は教会だった。実はここの館長の大塚氏は、聖イエス会の神父さんで、1971年に仕事でヨーロッパに行った時に、偶然、アンネの父のオットー・フランク氏に会い、話をきき、非常にショックを受けたそうだ。これが、1995年にホロコースト博物館を開館したきっかけになったらしい。

入口部分の通路に、「アンネのバラ」が植えてあった。このバラは、アンネが育てていたバラの子孫ではなく、戦後にベルギーの庭師が作った新品種で、オットー氏に捧げられたものだそうだ。

館内に入ると、まず、大塚氏の作ったビデオを見ることになった。内容は、ヒトラーのやったユダヤ人迫害、虐殺や、オットー氏と会ったいきさつ、福山市のバラ園にアンネのバラが植えられていること、岡山山陽高校の生徒がバラを育てていること、収容所からの生還者(ダイエー女子チーム監督・セリンジャー氏)の証言などだった。

印象的だったのは、
大塚氏「このヒトラーという少年は、認められないという気持ちを持って成長しました」
セリンジャー氏「立場が逆ならドイツ人を虐殺したかもしれないのです。報復は無意味です。誰かがとめなくてはならない」
というセリフ。加害者もまた犠牲者という視点である。世界中の人がこういう考え方ができれば戦争はなくなる筈(現実はそうではない)。

二階に上がり、「Albeit macht frei」と書かれた門をくぐると、ユダヤ人虐殺の歴史がパネル展示され、遺品等、虐殺の証拠物件が並べられていた。

「みんながえらびました
 1932年7月、国会の選挙でヒトラーのナチス党は第一党に選ばれ、翌年1月にはヒトラーは首相になり、ドイツの指導者として大きな力を握りました」
漢字には全てフリガナがふられていた。

HPの「記念館概要」にもあったが、「この記念館は、この「ホロコースト」(ナチスによる大虐殺)を知っていただくために日本で最初につくられた子供たちの学びの場です。」ということで、子供にもわかりやすく書いてあるのだろう。差別、偏見をなくすには、子供時代の教育が大切だ、という考えには私も賛成です。

テレジン収容所内で使われた紙幣(実際は使われるような状況ではなかったらしい)、囚人服と胸に縫いつけられていたダビデの星。切り裂かれた申命記。女性の靴、子供の靴。収容所で使われた食器。涙無しには見られないものばかりだ。

日本政府の命令に逆らって、ユダヤ人を海外に逃がしたリトアニア外交官・杉原千畝のような人がいたことが、せめてもの救いである。

彼はこの行為のために、帰国後、外務省を辞めさせられてしまったが、杉原氏のように、ナチス・ドイツによる大虐殺から、自分や家族の命を危険にさらしてまでユダヤ人を救った人々は「レスキュアーズ」と呼ばれている。レスキュアーズに関する展示は、各地でしばしば行われているようだ。

杉原氏についてもっと知りたい方はこちら

●ホロコースト記念館
広島県福山市御幸町中津原866、0849-55-8001、
火水金土、10時半〜16時半、8/13〜16、12/27〜1/5休、無料
公式サイト