鹿島海軍航空隊の遺構

友人から、霞ヶ浦湖畔の某所に、旧日本軍の遺構が残っているよ、と教えられ、見に行くことにした。

友人からだいたいの場所を教わり、湖畔に向けて走っていくと、このような建物を発見した。

石碑前にバイクを停め、碑文を読んだ。

「鹿島海軍航空隊の跡」

この地は、元日本帝国海軍所属の水上機搭乗員養成基地「鹿島海軍航空隊」があったその一角であり、当時義務教育を終え又は旧制中学途中で志願してきた飛行練習生、大学在学中に志望してきた飛行専修予備学生、海軍兵学校出身の飛行学生等、隊内各兵科の支えを受けながら優秀な「パイロット」を育成していたところである。
昭和13年5月11日開隊後、昭和20年8月15日の終戦まで、特に大東亜戦争に突入後は逐次日本本土防衛の体制に移行し、外部からの襲撃を未然に防御するため、哨戒飛行、索敵飛行、迎撃発進等果敢に防戦に傾注したものの我に利あらず、遂には未帰還機あり、空中戦での戦死傷者あり、果ては特攻隊編成による沖縄周辺に群がる敵艦船に突入戦死、又は地上においても作業中の隊員が機銃掃射を浴び戦死する等、この鹿島空在隊者だけでも数十人に及ぶ尊い犠牲を出したのである。
遅ればせながら我々生存者一同浄財を集め、救国の精神に燃え散華していった英霊に黙祷を捧げ、ご冥福を祈ると共に、この事実を後世に伝承すべく、ここに記念碑を建立するものである。

            平成11年5月27日
               元鹿島海軍航空隊在隊者一同
               他有志一同

というわけで、ここは飛行場の跡だった。

出入り口は塞がれていて、侵入不能。

建物の脇に回り込んでみた。

すると、裏側に赤い建物が建て増しされていた。

サイトで調べたら、農協の倉庫として使われているようだが、当時は何だったのかな?

この施設からさらに道を進むと、湖畔のプレジャーボート駐機場になっていた。湖に向けてスロープが作られており、ボートがそのまま降ろせるようになっていたが、どうやらここも軍の施設の転用らしい。ここから水上機等を湖面に出し入れしたものと思われる。

この界隈をさらに探索したら、旧日本軍時代の建物群を発見した。

説明看板等無いので、情報は、ネットで調べたり、友人からきいたりして集めた。

旧司令部。

戦後は某国立大学付属病院の病棟として使われていたそうだが、現在は空き家になっている。

煙突のある建物。

焼却棟や炊事場として使われていたようだ。

中にレンガの防火壁を持つ横置きの大きな焼却炉があり、蓋部分に月島の鉄工所の名前が書かれているそうだ。

煙突無しの大きな建物。

飛行機の整備工場か?

天井部分にレールが残っているそうだ。

この建物群は、国の施設の敷地内にあり、管理されている。

友人は許可を取って侵入したらしいが、私が行ったさいは、守衛さんに侵入を拒まれた。合法的に侵入できるかどうかは交渉次第のようなので、また、機会があったら、アタックしてみます。。。