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彩色は落ちてしまっているけど、軒の欄間部分に江戸時代(300年前)に彫られた立派な龍の彫刻があった。 |
![]() 内部の欄間の天女はまだ色彩が残っていた。あとできいたら、これは木彫りではなくて、鏝絵(こてえ)らしい。 |
中央に赤い布のかかった一角があった。ここに即身仏が安置されているそうだ。 |
駐車場片隅の建物の陰で15分ほど寝ていたら、9時になったので、即身仏の拝観受付をすませた。500円と引き替えにパンフをもらい、「9時半になったら、上のお堂でこれを見せてね」と言われた。あと30分か。宝物館が開いたので、中を見ることにした。
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頭頂部が珍、オッパイの突き出したザイールの民俗神。胸と頭部の精根にさわると、子供が授かり、お腹を撫でると安産の御利益があるそうだ。「アークボーン」と梵字で書かれていたが、ザイールの神様の名前って梵字で書けるの? |
![]() ![]() 祠におさめられた即身仏の木像。本物の雰囲気がよく出ていた。 |
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この弘智法印という人は、昭和34年の調査によると、血液型AB型で身長は170センチの大柄な人だったらしい。足の骨は全国行脚をしていた修行僧らしく、発達していたとか。調べるとそこまでわかるのね。 彼が身につけていた宋銭・紹元聖宝(室町時代のもの)も展示されていた(画像右下)。ちゃんとレントゲンにも写っている。 |
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弘智法印師が即身仏になったのは、1363年、室町時代の初期。天正年間(戦国時代)、酔った男が即身仏を槍で突き刺したところ、血が出てきたのを見て狂死してしまったそうだ。 |
狂死した男のものだと言われる頭蓋骨が飾ってあった。この骨については、他の説もあるらしい。 |
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他に、明治天皇が日露戦争時に広島の大本営に飾っていた掛け軸、円山応挙の絵などがあった。 |
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猫のミイラにしか見えないのだが、れっきとした絶滅ほ乳類のミイラだそうだ。 「江戸時代初期に絶滅したといわれる幻映(まぼろし)の獣です。昔は雷獣と呼ばれ高い大木に住んでおり、雷が鳴ると盛んに動き回る習性をもつ猫科の獣で木貂(きてん)といい黒褐色で胸腹は黄色脚長く五指あり、爪長くして曲り口尖る 顎と牙の形が猫とは全然異っています 日本にも皆無の貴重な遺骸です。」って。 この資料、科学的にちゃんと分析されたことがあるんだろうか?科学関係の本で雷獣なんてきいたことがないのだが。 |
他、いろいろ値打ちものがあるようだったが、時間になったので、弘智法印霊堂に行くことにした。まだ、誰も来ていなかったので、「不在の時は、この板を軽く叩いて下さい」と書かれた板を叩こうとしたら、バチがないじゃん。仕方ないので、板を持ち上げて、柱に打ち付けた。この音が聞こえたのか、9時半になったからだからか知らないが、「Mさん、9時半です。霊堂にお客さんがいらっしゃってます。よろしくお願いします」という従業員を呼ぶアナウンスがかかった。というわけで待つこと15分。誰も来ない。「即身仏の拝観には最低でも15分かかります」と書かれていたけれど、待ち時間15分てことじゃないよね。受付に行って催促してみるか。下に降りたら、最初に会ったおばあさんとまた、ばったり。「あら、まだいらっしゃったんですか〜。バイクで帰る音がしなかったから、まだいるのかなとは思ったけど。拝観の係の方がまだ来ないって・・・ひどいね。私が開けてあげますよ」とのことで、彼女に即身仏を見せていただくことになった。
靴を脱いでお堂に上がり、正座して即身仏についての説明をきく。そして、赤い布をめくってご開陳。焼香させてくれたので、近くで拝むことができた。
弘智法印師は、長い帽子をかぶってうつむきかげんで、顔ははっきり見えなかった。身長170センチだという話だったけど、案外小さいな。即身仏になると縮んでしまうのかな?
即身仏は、撮影禁止だったので、受付で売っていた300円の絵葉書を買って帰った。
なお、即身仏になるのには、腐敗を防ぐため、五穀絶ち、十穀断ち等、きびしい修行に耐える強い意志が必要である。「興味本位で尊敬心のない方のご拝観は固くお断りします」の看板が出ていた。
●西生寺
新潟県三島郡寺泊町大字野積、R402に表示あり、0258-75-3441
即身仏の拝観は、9時半〜16時頃