金谷付近の洞窟陣地

木更津からR127で金谷に向かって南下する途中、金谷港手前2キロ、打越トンネル直前の崖の高さ2mくらいの位置に明らかに人工的なものとわかる穴が開いている。ハシゴでもかけないと入れない位置なので何だろう?と思っていたのだが、雰囲気が洞窟陣地っぽい。位置的にも軍事遺構の宝庫である三浦半島の向かいだし・・・。

気になったので、隣のピラムという釣具屋で訊いてみることにした。私は釣りが趣味ではないので、この店では何も買えないのだが、それにもかかわらず、経営者夫妻は快く質問に答えて下さった。

○この穴は軍の洞窟陣地入口。
○昔は、地上に近い位置に穴の入口があったが、地主が(駐車場を作るため?)山を掘り下げたため、穴の位置が後退し、位置が上がってしまった。

→これで穴の位置の謎が解けた(^_^)

○洞窟陣地は山の内部に張り巡らされていて、爆風除けに曲がった場所もある。大砲が設置できるような穴もあり、そこから浦賀水道を通過する敵船を砲撃する予定だったらしい。
○駅(竹岡駅?)の方や、南側にも開口部はあるらしいが、多分封鎖されていると思う。入れるのはここぐらいだろう。
○打越トンネル反対側の海岸に、監視哨のようなものがある。
○R127じたいが、軍用道路。これができる前は旧道が使われていた。(って、旧道ってどこ?)

お礼を言って店を出た。トンネルを抜けてすぐの場所の路肩にバイクを停め、国道を渡って海沿いの「監視哨」を見に行った。

砂浜に人が一人入れる程度のコンクリ建造物があった。これが釣り道具屋さんが「監視哨」と言っていた建物だが、開口部が山側にしか無い、ということは、実際は監視哨として使われていたのではないと思う。いったい何だろう?

その後、近所のお年寄り(10年くらい前に引っ越してきたらしい)に聞き込みしたら、「海底無線通信の施設らしい」。「海底無線」というのはありえないが、通信関係の施設だった可能性は無いとはいえない。

「軍艦メカ開発物語」(深田正雄、光人社NF文庫)に興味深い記事が出ていた。当時の日本軍は、湾に侵入する敵艦を発見するため、海底に水中聴音機を設置し、海底ケーブルで聴音機からの電気信号を陸に送っていた、というのだ。場所的に、このあたりは東京湾の入口の狭くなった場所なので、水中聴音機が設置されていた可能性は高く、この施設は海底ケーブル関係のものかもしれない。

【関連】対岸の三浦半島・観音崎の、水中聴音機関連のものとされている施設

ピラムより竹岡駅側の洞窟の開口部について、住民の方に聞き込みして回った。すると、ある家のおばあさんから、「うちの1〜2軒隣の家の裏山に防空壕があった筈」「もう少し先の十字路上の墓地の中に穴があって、子供の頃、男の子がよく探検していた」ということが聞き出せた。ありがとうございますm(_ _)m

そこで、まず、「萩生バス停」のすぐ上のお墓に突入した。道幅が狭かったがセローならなんとかなるでしょ?ということで坂を登っていったら、道幅がますます狭くなって行き止まり。ヤバいんじゃ?セローの向きを変えようとしたら、道幅が狭いうえに片側溝、おまけに坂道。切り返しもままならず、方向転換に難渋した。結局、荷物を降ろして、バイクの尻を持ち上げるようにして方向転換。腕疲れた〜。バイクでも変な道にはむやみに突っ込まないに限るな。

墓地の崖を見たら、大穴が開いていた。
半分以上、ゴミや土砂で埋まっているので入ることはできなかった。

この穴の入口から海は見えるが、海岸線からはかなり離れている。

歴史雑誌(「歴史群像」だっけ?)には、「サイパンで「海岸沿いの陣地を突破されて後はズタボロ」という痛い経験から、その後の日本軍は、陣地は海岸線から離れた場所に作り、上陸した敵にも対処できるようにした」と書かれていた。これもそういうコンセプトで作られた陣地か?

墓地から出、民家の裏山の防空壕を見に行くことにした。

この民家の裏側の崖に軍隊の作った防空壕がある。
この家のおばあさんの話では、崖崩れのおそれがあるということで、穴は塞がれ、手前にフェンスが作られてしまった、とのこと。見せて頂いたがフェンスの内側に入り込まないかぎり、視認するのも難しい状態だった。残念。