雨崎の旧日本軍戦車(2)

こちらから見ると鉄屑の塊にしか見えないが、
転輪だ。

砲塔と砲身も確認できた。

どうやら栗林氏が持っていったのは、車体の下半分の一部らしい。転輪も一部残っていたから。全く中途半端な持ち去り方だな(ノД`)

砲身のアップ。

57ミリ戦車砲ですね。

ちなみに、太平洋戦線で対戦した米軍のM4中戦車(シャーマン戦車)は75ミリ砲を採用していた。

底板の部分かな? 装甲の厚さは25ミリ。薄っ! ちなみに、これが九七式中戦車の最大装甲厚だそうだ。

M4中戦車の最大装甲厚は88.9ミリ。

これでは勝負にならなかった筈だ(ノД`)

海岸に降りてみた。崖の部分から戦車が出土し、栗林氏の手によって赤矢印の場所に引き揚げられ、そのまま放置されている。雨ざらしなのでさらに痛みが進むことは一目瞭然。栗原氏に頑張ってもう一度来て頂くか、それがダメなら誰かに引き取って管理して頂きたいものだ。

戦車のある場所の地図

07年1月に見に行ったら、戦車の残骸がなくなっていました。ネットで調べたら、06年6月19日にはまだこの場所にあったようです。その後、誰かが引き取ったのか、ゴミとして処分されたのかは不明です。
早速、情報を頂きました。

那須の戦争博物館に行ったところ、錆び錆びの旧日本軍戦車(砲塔付き)が屋外に展示されていたそうです。最初に台車部分が搬入され、その後、私の見た砲塔部分を運んで、台車部分と接合したのではないか、とのことです。

博物館に確認は取っていないのですが、当初は下半分しか展示されていなかったこと、私が三浦で見た戦車と同様、砲の先端部分が欠けていたことなどから、この推測で間違いないと思います。

さらに、その戦車の砲塔部分は前後を間違えて接合されていた、とのこと(^_^;)

機会があったら、私も確認に行ってきます。

★2007年5月に確認してきました→戦争博物館レポ

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