山形交通の高畠駅

山形交通は乗客減少により、昭和49年に廃止になった路線である。

山形交通の歴史(高畠町郷土資料館の年表より

明治33年 奥羽線糠ノ目駅(現在のJR高畠駅)が開業。
大正10年 高畠鉄道株式会社設立
大正11年 糠ノ目〜高畠間 蒸気機関車にて営業開始
大正13年 高畠〜二井宿間 営業開始。全線営業。
昭和4年 全線電化
昭和9年 高畠駅舎改築 石造二階建 建築費4500円
昭和18年 軍事特例により交通業者合併となり、山形交通株式会社となる
昭和42年 台風水害のため、屋代川鉄橋沈下。高畠〜二井宿間運行不能のためバス代行運転。
昭和43年 高畠〜二井宿間廃止
昭和49年 高畠〜糠ノ目間廃止。

現在のJR高畠駅は新幹線の止まる駅で、改装されて近代的な駅になったが、山形交通運行時は、糠ノ目駅という小さな駅だった。旧高畠駅山形交通の中心として機能していた駅で、駅舎は現存している。画像見たらよさげな雰囲気だったので、現地に見に行くことにした。

まず、高畠町郷土資料館に山形交通コーナーがあるときいたので、そちらで予習していくことにした。

雨の中、駐車場にバイクを停め、入口で濡れたメットとブーツカバーを脱いでいたら、郷土資料館の係の方(男性と女性)が、「大変ですね、濡れたまま入られていいですよ、今日はストーブ出しましたから中で乾かして下さい」と言って下さった。ありがたいお言葉m(_ _)m 私がストーブに当たっていたら、「今日は道の駅でおにぎりとか買ってきたんで、これをどうぞ」とゆべしが5個入ったパックを渡して下さった。「一個だけじゃなくてたくさん食べていいですよ」とのことだったので、ありがたく2個頂戴した。寒くてお腹も減っていたので嬉しかったm(_ _)m(^_^)

その他の部分はざっと流して、山形交通コーナーに直行。

写真、タブレット、駅名看板、プレート、閉塞機、切符切りのパンチ、時刻表、観光パンフ、車掌看板、つり革、山形交通バスのプレートなどが展示されていた。

受付で興味深かったと告げたら、以前作った高畠鉄道のパンフがありますよ、とのことなので、200円で購入した。営業当時の写真や現在の写真が多数掲載されていた。

パンフには、「明治20年白石、二井宿、高畠、赤湯、山形、大石田間31里に鉄道を敷く計画があったが事情により沙汰やみになったということである」と書かれていた。
赤湯〜大石田は現在奥羽本線が通っているので、実現したが、結局、二井宿〜白石間の鉄道は作られることがなかったわけだ。この計画が実現しなかった詳細ないきさつはわからないが、山越えのためのトンネルや鉄橋を作る資金が出なかったのかな?

帰り際に、廃止決定時の地元の人の反応について受付で質問したら、「この路線はもともと貨物を運ぶための路線で、住民の利用は比較的少なかった。廃止の理由が「天災」だったこともあって、廃止反対運動はなかった。通学している人は困っていたけれど」とのことだった。

●高畠町郷土資料館
山形県東置賜郡高畠町安久津2011、道の駅の近く、0238-52-4523
毎週月曜日
子供の日及び文化の日を除く国民の祝日
年末年始(12月28日から1月4日)休
9時半〜16時半、100円

郷土資料館で頂いた地図を見ながら、旧高畠駅へ。

駅というものは繁華街の中心部にあると思われがちだが、高畠駅はさびれた大通りの行き止まりにあった。かつてはここが賑やかだった時代もあったのだろう。

駅は高畠石造りの二階建て。

現在は使われておらず、内部は空き家。駅前にバス停が残っていたが、時刻表は空欄。石造りの電話ボックスも使用中止で、巻かれたビニールシートが無粋。なんとかならんのか(ノД`)

デザインも凝っており、高畠石(凝灰岩の一種)という素材がいい味出している。
駅を反対側から眺めたところ。
この広場は昔は駅構内で、転車台や車庫があったようだ。記念に転車台は残しておいて欲しかったな。

駅構内に駅舎と同じく高畠石で作られた建物が残存。左の建物はトイレ、右は不明。

昔のホームを使って車両が展示されていた。

手前は客車(モハ1型)。

貨車(ワム201)

機関車(ED1形式1)。

この界隈、説明看板が何もなかった。郷土資料館に行ってからこちらに来ればいいのだが、予備知識無しで高畠駅を訪れた客は何が何やらわからないにちがいない。看板くらい立てればいいのに。

★山形県上山市のリナワールドにも山形交通の機関車が展示されていた。