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山形交通の歴史(高畠町郷土資料館の年表より) 明治33年 奥羽線糠ノ目駅(現在のJR高畠駅)が開業。 |
現在のJR高畠駅は新幹線の止まる駅で、改装されて近代的な駅になったが、山形交通運行時は、糠ノ目駅という小さな駅だった。旧高畠駅は山形交通の中心として機能していた駅で、駅舎は現存している。画像見たらよさげな雰囲気だったので、現地に見に行くことにした。
まず、高畠町郷土資料館に山形交通コーナーがあるときいたので、そちらで予習していくことにした。
雨の中、駐車場にバイクを停め、入口で濡れたメットとブーツカバーを脱いでいたら、郷土資料館の係の方(男性と女性)が、「大変ですね、濡れたまま入られていいですよ、今日はストーブ出しましたから中で乾かして下さい」と言って下さった。ありがたいお言葉m(_ _)m 私がストーブに当たっていたら、「今日は道の駅でおにぎりとか買ってきたんで、これをどうぞ」とゆべしが5個入ったパックを渡して下さった。「一個だけじゃなくてたくさん食べていいですよ」とのことだったので、ありがたく2個頂戴した。寒くてお腹も減っていたので嬉しかったm(_ _)m(^_^)
その他の部分はざっと流して、山形交通コーナーに直行。
![]() ![]() 写真、タブレット、駅名看板、プレート、閉塞機、切符切りのパンチ、時刻表、観光パンフ、車掌看板、つり革、山形交通バスのプレートなどが展示されていた。 |
受付で興味深かったと告げたら、以前作った高畠鉄道のパンフがありますよ、とのことなので、200円で購入した。営業当時の写真や現在の写真が多数掲載されていた。
パンフには、「明治20年白石、二井宿、高畠、赤湯、山形、大石田間31里に鉄道を敷く計画があったが事情により沙汰やみになったということである」と書かれていた。
赤湯〜大石田は現在奥羽本線が通っているので、実現したが、結局、二井宿〜白石間の鉄道は作られることがなかったわけだ。この計画が実現しなかった詳細ないきさつはわからないが、山越えのためのトンネルや鉄橋を作る資金が出なかったのかな?
帰り際に、廃止決定時の地元の人の反応について受付で質問したら、「この路線はもともと貨物を運ぶための路線で、住民の利用は比較的少なかった。廃止の理由が「天災」だったこともあって、廃止反対運動はなかった。通学している人は困っていたけれど」とのことだった。
●高畠町郷土資料館
山形県東置賜郡高畠町安久津2011、道の駅の近く、0238-52-4523
毎週月曜日
子供の日及び文化の日を除く国民の祝日
年末年始(12月28日から1月4日)休
9時半〜16時半、100円
駅というものは繁華街の中心部にあると思われがちだが、高畠駅はさびれた大通りの行き止まりにあった。かつてはここが賑やかだった時代もあったのだろう。 |
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現在は使われておらず、内部は空き家。駅前にバス停が残っていたが、時刻表は空欄。石造りの電話ボックスも使用中止で、巻かれたビニールシートが無粋。なんとかならんのか(ノД`) |
デザインも凝っており、高畠石(凝灰岩の一種)という素材がいい味出している。 |
駅を反対側から眺めたところ。 |
この広場は昔は駅構内で、転車台や車庫があったようだ。記念に転車台は残しておいて欲しかったな。 |
![]() ![]() 駅構内に駅舎と同じく高畠石で作られた建物が残存。左の建物はトイレ、右は不明。 |
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手前は客車(モハ1型)。 |
貨車(ワム201)。 |
![]() ![]() 機関車(ED1形式1)。 この界隈、説明看板が何もなかった。郷土資料館に行ってからこちらに来ればいいのだが、予備知識無しで高畠駅を訪れた客は何が何やらわからないにちがいない。看板くらい立てればいいのに。 |