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波照間島・学童慰霊碑 |
太平洋戦争末期、軍部は八重山の住民に強制疎開命令を出した。住民は石垣島北部、西表島等、マラリア有病地帯に疎開させられ、その結果、八重山人口36000人のうち、3647人がマラリアで亡くなった。軍の暴虐が引き起こしたこの惨事を戦争マラリアという。
中でも酷かったのが波照間島。住民全員が西表に疎開させられ、大半がマラリアに感染、学童(66人)も含めて島民の三分の一(488名)が亡くなった。詳細は八重山平和祈念館レポを参照。
波照間には波照間小学校創立九十周年記念事業として建立された学童慰霊碑がある。集落からコート盛(琉球王朝時代の船見台)を通り過ぎ、さらに下に降りたところが学童慰霊碑(だいたいの場所)。
表に「学童慰霊碑」の文字、裏側の文字は消えかけていた。ガイドブック等には「かつてあった山下軍曹(仮名)の行為は忘れはしない」という内容の文句が碑に彫られていると書かれていたが、消えかけた部分に掘られているのは字を書いた人、刻んだ人などの名前だった。その文句がどこにあるのか私にはわからなかった。 |