那須野飛行場跡

戦時中、那須には軍の飛行場があった。この那須野飛行場については、『那須の太平洋戦争』(北那須郷土史研究会 下野新聞社)という本に詳しく出ている。

1938年(昭和13年)軍用機操縦者の早期育成のために、この地に飛行場着工
1941年(昭和16年)飛行場完成。
熊谷および宇都宮陸軍飛行学校那須野教育隊の施設になり、卒業生は実戦投入された。
1945年(昭和20年)4月 鉾田基地が艦砲射撃などで危険な状態になったため、鉾田教導飛行師団が那須野に移駐。那須野飛行場は双発機による特攻機の訓練基地になった。12隊のうち2隊は実際に特攻を行い、尊い命が失われた。
1945年(昭和20年)7月 空襲で被災。
1945年(昭和20年)8月 終戦により廃止。

那須野飛行場は黒磯市の「埼玉」という場所にあった。跡地は、終戦後、開拓地になったので、碁盤目状に道の走る田園地帯になっている。最近は住宅地になりつつある。

飛行場跡の写真を撮った。この方角には那須連山があるのだが、この日は山が見えなかった。

「那須の太平洋戦争」は飛行場から空襲、戦時下の生活、疎開まで網羅しているいい本なのだが、残念ながら、地図は少なめ。

このページ((「那須野が原・九条の会」内)、こちらの地図もそれほど親切とはいえないが)を参考に那須野飛行場界隈の戦争遺跡を回ってみることにした。

埼玉を東西に貫く2車線路(県道55号)を走っていたら、「那須野陸軍飛行場跡」碑を発見した(地図)。

隣には飛行場内の施設の配置図碑もあった。かなりアバウトだが、縮尺上仕方がなかったのかも。

次に、格納庫基礎の残骸を探すことにした。残骸はうっそうとした森の中に残されているらしい。森はあちこちにあるので、無造作に歩き回るのは効率が悪い。そこで、都営住宅みたいな住民のおじさん(屋根いじり中)に質問したら、ぶっきらぼうに、「ここより一本南を併走する道路」「目印はT字路」と教えて下さった。

短いながらけっこういいヒントで、10分以内に、画像左手の森の中に格納庫残骸を見つけることができた(地図)。
こんなものが木立の間にちらちら見え隠れしていた。

情報によると、こんな、厚さ50センチくらいのコンクリの壁が10枚くらい立ち並んでおり、その近くにも背の低い土台が残っているそうだ。

★大阪府の八尾飛行場の近くに、よく似た形の格納庫基礎がある→レポ。

格納庫残骸のある敷地は柵で囲まれていた。犬散歩中の若い女性に、どこで侵入許可を取ればいいのか訊いたら、知らない、とのこと。敷地の反対側に回り込んだら、ここの地主の家らしきものを発見したが、空き家になって久しい雰囲気。侵入許可は取れそうにないな(残念)
ちなみに、森と道路を挟んで反対側は駐機場跡地である。コンクリで覆われた地面が残っていた。