沖縄本島・その他の壕(2)

【チビチリガマ】

「戦争遺跡から学ぶ」によると、このガマには140人くらいの住民が避難していた。昭和20年4月1日に米軍が上陸、2日に竹槍を持った男女3名が外に出て行き、男2名が壕の前で倒れた。壕内の住民はパニックになり、集団自決をはかった。火を燃やして窒息死したり、毒薬注射したり、鎌や包丁で肉親同士が殺し合ったりした。こうして140名中、83名が非業の死を遂げた。うち59%が18歳以下の子供で、6歳以下の幼児は16名いたそうだ。

だいたいの場所は「戦争遺跡から学ぶ」の地図でわかったが、県道沿いの交番(読谷交番)で聞き込みし、脇道へ。その道に看板が出ていたので、チビチリガマはあっさりと見つかった(地図)。
駐車場にバイクを停め、階段を降りる。
崖の下に自然洞窟が口を開けていた。右は慰霊モニュメント「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」(87年建立)。
モニュメントは独特の形をしており、細部のデザインにこだわりが感じられた。気になったので、調べてみたら、金城実氏という反戦を主題とした芸術活動を行っている方の作品だった。
この壕は以前は中に入れたらしいが、興味本位で壕内に入り、遺骨を踏みつぶしたり、壕内から遺品を持ち出す人がいたため、95年4月以降、遺族会の意志により、壕内に入ることは禁止されている。

壕の入り口には千羽鶴。壕の脇には犠牲者名が刻まれた碑があった。

【シムクガマ】

シムクガマは、読谷交番のお巡りさんや地元の方に訊いても場所がはっきりせず、村役場で出している「読谷村の戦跡巡り」という冊子(500円)を購入して、やっと場所が特定できた。

読谷中学→井之原公園の脇にバイクを停め、谷間に降りていった。

軽くヤブコギ。一応、踏み分け道はついている。
あっさりガマに到達した。

路面がフラットで歩きやすかったが、ここでUターン。

シムクガマには1000人程度の人が避難しており、その中にハワイ出身の方が二人いたおかげで、チビチリガマのような集団自決は起こらなかったそうだ。その二人の方は比嘉平治氏と比嘉平三氏。アメリカ人は人を殺さないよ、と説得、投降に導いた。彼らのおかげで1000人の命が助かったそうだ。

比嘉氏の功績を讃える碑が洞窟入り口に立っていた。

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