銚子の戦争遺跡(2)

【銚子青少年文化会館の近くの碑群】地図

忠魂碑忠霊塔嗚呼戦災死者之碑が並んで建っていた。本によると、紀元2600年事業として忠魂碑を建てるため、銚子市が計画したが、終戦までにできたのは整地のみ。
忠魂碑は大正4年に建てられ、終戦時に撤去されたものを昭和52年にこの地に建て直したものだそうだ。戦災死者之碑も昭和52年のもの。

【被災墓石】地図

近くの愛宕町の共同墓地(藤塚の三昧)(サンメー)に機銃掃射で損傷した墓石が残っている。

1945年7月の空襲で機銃掃射を受け、ここに逃げ込んだ多くの市民が犠牲になったそうだ。合掌。

【春日神社の記念碑群】地図

神社は坂の上にある。

参道の階段の途中に「日露戦役紀功碑」「大東亜戦争従軍記念碑」があった。碑文は読みにくい。特に日露戦争の記念碑は何が何やらさっぱり。本によると、1956年に建てられた従軍記念碑の方、「この戦争が世界に恒久的な平和をもたらす人類最後の戦争になることを祈念する」と書かれているそうだ。

【翔天の碑】地図

翔天の碑(平成5年建立)は住宅地の中の公園にあった。

碑には、「この地に飛行場ありき 下志津陸軍飛行学校銚子分教場跡地」と書かれていた。

本によると、この飛行場は地元では三崎飛行場、春日台飛行場と呼ばれていた。1935年に飛行場建設が決定し、36年に教育・事務開始。ここから特攻隊(陸軍・第六・八紘隊)が飛び立ち、フィリピンのレイテ島沖で命を失ったそうだ。

現在、この飛行場跡地は畑と住宅地になっている。

広大な陸軍飛行場の一角に境界石があるそうだが、「上野町と本城町の境」ということしかわからないので、今回は捜すのをあきらめた。

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