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風船爆弾の大津基地跡 |
太平洋戦争末期、日本軍はジェット気流を利用して、米国を空爆する兵器・風船爆弾を使用した。千葉県一ノ宮・茨城県大津・福島県勿来の各海岸から9000個の気球が飛ばされ、300〜1000個が米本土に到達し、山火事が発生、犠牲者も出た。
【参考】ウイキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/風船爆弾
今回はこのページ(「ぶらり重兵衛の歴史探訪」内)を参考に、北茨木市・大津、平潟界隈を回ることにした。
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次に、R6から五浦に向かう新しい二車線道路脇にある風船爆弾犠牲者鎮魂碑(平成10年)(地図)。 左画像の左手のちょっと窪んだ場所にあるのだが、見落としやすい。 1944(昭和19)年11月に6名の犠牲者が出る爆発事故があり、その慰霊碑だそうだ。慰霊碑脇には説明看板無し。 |
当時、軍隊はこのへんの土地を強制収容し、住民を立ち入り禁止にした。このあたりに軍の作った施設の土台がいくつか残っているようだが、要聞き込み、状況によってはヤブコギが必要になるため、今回は土台探しはしなかった。 |
| 岡倉天心邸は、部隊長宿舎として利用されていたそうだ。茨城大学五浦美術文化研究所敷地内にあるそうだが、月曜日は施設休館日なので見られなかった。 |
| 北茨城市歴史民俗資料館(野口雨情記念館)。
風船爆弾について年表に記入されているだけ。北茨城市史の資料(昭和62年発行)に、「山のかげに残った珪化水素工場の土台画像」などが掲載されていたが、地図無しなので、遺構探しの手がかりにはならなかった。風船爆弾資料探しのため、わざわざ入館する価値はないかも。 |
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