鈴鹿の掩体壕(2)

掩体壕は車庫や物置として使われていた。

天井には木の板の跡。
鉄筋が飛び出していた。掩体壕建設当時からのものだろうか?それとも、後で打ち込まれたものか?
この金具はいろいろなものをつり下げるのに、重宝しているようだ。

壕の反対側に出てきたところで、今度はご主人に遭遇。ご主人からいろいろお話をお伺いすることができた。

○自分がここにやってきたのは戦後。開墾地に入植した。
○当初、壕の中には土が詰まっており、木のパネルが貼られていた。壕は製作途中で実際には使われなかったようだ。
○壕の中で20年くらい、荷役用の牛を飼っていたことがある。現在は農作業は機械化されているので牛は不要。
○自分は戦時中はフィリピン?におり、その後、台湾に転戦、そこで終戦を迎えた。フィリピンに残った戦友は誰も帰ってこなかった。
とのこと。

そして、さらに貴重な情報が。
○コンクリの立派な掩体壕はこれしか残っていないが、三方に土塁を作った無蓋掩体壕(上部は別の方法で偽装)はこの界隈にいくつかある。ここからすぐ北西の雑木林の中にも一つ残っている。

貴重な情報、ありがとうございます!m(_ _)m

ということで、その無蓋掩体壕に行ってみることにした。

途中のあぜ道から振り向いたところ。左が母屋で右が掩体壕。

右前方に見えている森が無蓋掩体壕のある場所。
この土手が人工的な土塁で、無蓋掩体壕らしいのだが・・・
土塁は崩壊しかけていて、三方が高くなった構造というのは、わかりにくくなっていた。

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