八高線列車衝突事故現場

八高線列車衝突事故について

終戦の数日後(昭和20年8月24日)、多摩川大橋の上で、八高線の列車が正面衝突、百名以上の死者を出した大事故。

当時、拝島駅と小宮駅間は単線で、列車の交換はタブレットにより行われていた。ところが、当日はタブレットを収納している機械と電話が機能せず、連絡の行き違いから、双方の駅から同時に列車が発車してしまい、多摩川大橋の上で衝突した。死者の正確な数は不明だが、このページ「山本律之(りっし)のホームページ」内)によると、おそらく、180〜200名程度の方が亡くなられたのでは?とのこと。

現在の多摩川大橋。

川の中に残されていた車輪が、昭島側のくじら運動公園にモニュメントのように展示されている。

公園のベンチにいた年配男性の話によると、これ以外に多摩川大橋では、「米軍機が列車に衝突した事故」があったそうだ。初耳だったので調べてみたら、上記ページに、昭和22年7月14日に貨物列車の最後尾に米軍機が激突、最後部の車両が多摩川に転落する事故が起き、4名の死者が出た、という記述があった。こちらの事故の詳細は不明。

八王子市郷土資料館の展示資料の中にも、昭和20年、22年の事故に関するものはなかった。