長岡戦災資料館(2)

防火用水、火叩き、バケツの防火三点セット。
バケツは何と布バケツだった!こんなものでちゃんと水がすくえるか疑問なのだが、金属欠乏時なので仕方なかったのだろう。
米不足で玄米が配給されるようになったので、ビール瓶による精米が行われるようになった。しかし、末期には玄米も不足するようになった。
伝単は多種類展示されていた(バラエティの多さは一見の価値あり)。左のものはあちこちで見かけるが、右の伝単は初めて見た。
伝単をばらまいた爆弾も展示されていた。こちらも珍しかった。

よくこんなものを、回収・保管していた市民がいたものだ。

イモン帳について。

慰問袋に当初はものを入れて送っていたが、そのうち物資欠乏で入れるものがなくなると、イモン帳を送るようになった。

あるイモン帳の中には各種食べ物の絵が描かれていた(左画像)。「さあさあご遠慮なくたんとお召し上がり下さい」の文字が泣かせる。

また、若い女性の写真やイラストを入れたものもあった(右画像)。

子供用携帯国旗。

子供たちは出征する兵士たちをこの小旗を振って見送った。

この他、長岡の学徒動員の実態、学童疎開、女子挺身隊、従軍看護婦の犠牲、少額銀行券、衣料切符、罹災証明書、徴兵検査通達書、貯金通帳、戦時国債、歓送の辞、遺言書、お餞別控え帳など種々雑多な資料が展示されていた。

市民からの寄贈品の多いのが目立った。それにしても、この物量!特に焼夷弾のパーツ、伝単の種類の多さは驚くべきものがあった。

長岡空襲前の7月20日、左近町に模擬原子爆弾(大型爆弾)が投下された。

模擬原子爆弾は、原爆と大きさ、重量が同じ爆弾。原爆投下訓練のため、九州・北海道を除く49発が日本全国に投下された。長岡に関しては、投下場所を誤認し、左近町の畑に落下した。爆薬量は4.5tもあり、投下時、現場では直径15mの大穴があき、住宅全壊2戸、死者4名を出した。

長岡には7月26日も模擬原爆投下が試みられたが、目標が見えず失敗。当初、新潟は原爆投下候補地にされていたが、長岡への二度の模擬原爆投下失敗と、日本海沿いでテニアンから遠いことから、新潟は原爆予定地からはずされることになった。

現在、模擬原爆投下地点跡には碑が建てられているそうだ。

「昭和20年夏もう一つの戦史 左近の爆弾 −長岡に投下された模擬原子爆弾−」(長岡戦災資料館 300円)を購入した。

 

3階の展示室では「長岡空襲殉難者遺影展 戦災焼失地図展」開催中だった。

壁には長岡空襲で亡くなられた方(左近の空襲も含む)の遺影数百人分が並べられていた。死亡場所なども書かれていた。

左近町の件では、母親を失った赤子が生き残ったが、翌月、父とともに鉄道自殺した旨が書かれた新聞記事があった。

ということで、この資料館、見応えがあった。今回、時間がなくて映像資料が見られなかったので、次回長岡訪問のさいはまた立ち寄りたい。

●長岡戦災資料館
長岡市城内町2−6−7 森山ビル、0258−36−3269
9〜18時、月休、年始年末休、無料
ボランティアがいるのは、13時〜16時
戦災資料館館長がいるのは火、金の10〜17時
公式サイト

→「長岡戦災資料館(1)」に戻る